聖書の中に
「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」
とあります。それによって魂の成長があるからです。誰も試練に逢う事を願う人はいないと思います。しかしながら、試練をどう理解するかです。苦しみ、恐れ、悲しみという感情としてとらえるのか。それとも、試練を教訓としてとらえその体験を成長のための学びとしてとらえるかでは大きな差が生じます。
スピリチュアル的な見方をすれば、恐れという感情がこころを支配してしまうと、そこからはマイナスの状況しか生み出されてこないわけです。全ては自分のこころのあり方が現実を導き出していると言われているからです。同じ試練を体験してもそこから学び、教訓としてとらえるならば前向きなエネルギーが流れ始めます。そこに、感謝という気持ちを持つようになると更に前向きなエネルギーが流れ始めることで状況は好転してゆきます。
同じ試練を経験して、どのように受け止めるかは自分自身のこころの持ち方ひとつにかかっていると言えます。試練に逢った時に喜ぶことができたらどんなに素晴らしいことでしょうか。
昨日紹介した礒一明の本の中に、「心の筋肉」という言葉が出てきます。試練にあって長いトンネルの中にいる時にこころの筋肉が訓練されるのだという。それは、苦難や試練、どん底という特別な経験をすると、その時に、先の見えないトンネルの中にいる時にこころの筋肉がそこでしか鍛えられない経験によって強くされるのだと。何度も人生の中で失敗や苦しみを経験してこころの筋肉がつくと、多少の試練は驚かないようになる。経験値があがり試練を乗り越えるこころの筋肉が付いているからだと言うのです。
さまざまな試練から「学ぶ」ということに気づきが起これば、きっと試練に打ち負かされない強いこころを持つことが出来ると思います。何故、このような試練が私に起こるのだろうと悩む事があると思います。でも、意味を見出し、気づく事が出来たら問題は解決したも同然ではないでしょうか。
問題の原因を知る事ができれば、問題の解決も見えてきます。
試練は意味なくおとずれることはありません。耐えられないような試練はやってこないし、来たならば必ず超えられるのだという確信を持ち、自分自身の内側に持っている力を信頼する事が大切であると思います。
試練を通して、自分自身の持っている力を発見する学びなのだと思います。
私も、この経済的な試練は11年もの長い間取り組んできています。良く苦難から急激な回復を果たしたという成功ストーリーのモデルのような方もおられるでしょうが。そうはならずに長いトンネルの中を歩んで来ています。ですから、こころの筋肉は多少ついてきてるのではと思います。そして、今回は何よりも教訓としての「学び」に光が当てられた事が大きな変化です。
一筋の光を見出した気がします。
- 学んだ事は、耐えられないような試練は来ない。(体験的に学んでいます。)
- 試練を通して、魂の成長がなされる。(スピリチュアル的に新しく学んだ事。)
- 試練を通して、学びを得ることが出来る。全てはエネルギーの流れとしてとらえる事が出来る。こころの動きも、お金も、行動もエネルギーの循環という視点で考えるとお金の流れが起きて来る。(スピリチュアル的に新しく学んだ事。)
- 今ブログをこのように書き始めたこともエネルギーを与えていることです。誰かを励まし、試練の中にいる人を少しでも励ますことが出来、試練に立ち向かう勇気を与えることが出来れば感謝です。