今日7月1日(日)は富士山の山開きである。富士山には登山ルートが4つあり、その一つ田ルートの山開きである午前0:00から9月10日(月)まで。他の3ルートである須走ルート、御殿場ルート、富士宮ルートはいずれも7月10日(火)午前9:00から9月10日(月)までです。

画像の富士山は、東名高速自動車道路上り線の富士川サービスエリアで撮影した写真です。売店やレストランが入る富士川楽座の2階には下に流れる富士川越に富士山がくっきり見ることが出来る場所があります。

さて、昨年の暮れから、今年の3月にかけて「サイキックリーダー講習会」に参加して学びました。講師が、The  Rock Girlことアリソン・ヘイズでしたので通訳で講義が進められました。通訳の中でしばしば出て来たのが「意図」(いと)と言う訳語でした。

私はこの言葉がすごく耳障りでしたし、「意図」という訳語は正しい翻訳をしているのだろうか?と思っていたのです。

辞書(デジタル大辞泉)では、1.何かをしようとすること。2.何かをしようと考えている事。おもわく。もくろみ。とあります。

ところが、たびたびでてくるし、スピリチュアル関係の本やサイトの記事を読んでもやはり、「意図」が出てくるのです。これは、私が知らないだけで普通に使われている言葉なのだと受け止めました。私のボキャブラリの語彙の中には入っていないという事です。だから、違和感を感じていたのです。

「意図」とは何かをしようとすることと言う意味を持っているのですが、私の場合はこの語彙と似た語彙として「動機」と言う言葉はしばしば使って来ました。聖書の言葉の解釈からして、「意図」というより「動機」としてその行為の内的心理の動きに光を当てることに用いていましたので、聖書の解釈からは「動機」を用いていたのです。

そのために、「意図」は耳新しい言葉であり、最初はすごく耳触りでした。しkし、ここに来て「意図」をスピリチャルの世界では大切な語彙の一つであると知りました。

今日は、その「意図」についてです。何かをしようと自ら決めることが意図ですから。自分の人生を自分の望んだ通りに生きる。即ち、自分の人生を自分が意図した通りに生きる。というふうになります。ここが、今日のポインです。

自分の人生を自分が「意図」したように生きるという事です。

しかし、現実の生活はどのように生きているでしょうか?自分の意図した人生を現実にいきているのか?とうことです。意図した生き方と、現実の生活の間にギャップは無いでしようか。普通はあります。このギャップ、意図した理想と現実との乖離が問題なのです。この乖離がおおきければ大きいほど意図した理想と現実がかけ離れているという事になります。

その心の中に意図した理想は空想に過ぎず、実現することはおそらく無いでしょう。良く将来のを語ると「何を夢物語を言っているのだ」と聞いた人が反論的に言う場合がありますが、その類になってしまします。

しかし、ブログで目指していることは「意図」を持って自分の人生を生きれるようになることなのです。自分の人生に自分自身が主体的に関わり、自分の希望する人生を生きれるようになるためなのです。私は自由な人生を生きる事を目指しています。そのために、自分の人生をその方向に自ら意図して生きるように取り組んでいます。

その意味において「意図」を持って、自分の人生を主体的に生きる決意をしています。

人生は特に意図しなくても生きていくのです。潜在意識が自分の人生を創造しているわけですから。すでに、あなた自身の潜在意識の中に蓄えられたあなた自身の望む事が記憶されているわけです。それは、習慣と言う行動を通して潜在意識に記憶されているのです。

私と言う自分は、日々の行動によって造られていきます。その行動は習慣となって私の人格を形造ります。習慣は思考のと行動の癖として私に影響を与えています。今までの古い習慣が今の自分自信を創っています。ですから、新しい自分を創ろうとするなら習慣を変える必要があるのです。そこに、「意図」が働くのです。新しい自分自信に成ろうと心の中で決意する事から始まります。

変化の始まりは、この「意図」が関わるわけです。そして、新しい習慣を身に付けることで潜在意識の書き換えが起きるのです。それは新しい自分が新しい現実を引き寄せて来るのです。

この事に関して詳しくは以下の書物を推薦します。

あなたという習慣を断つ ― 脳科学が教える新しい自分になる方法