わたしはできる。このように語る事にしました。いままでは大丈夫と口癖のようにつかっていましたが、根拠のない感情的な使い方であったのではと反省した今朝でした。その時に、大丈夫ではなく「私は出来る」「わたしは成る」と言うようにしようと決めました。

大丈夫と言う言葉にとても励まされ助けられた経験があったので、自らも大丈夫の言葉を使ってきました。しかし、よく考えると、私の場合は何かを投げかけられた時に「大丈夫だよ」と言うのは何か裏付けになる根拠があって言ってるわけではなく、いわば反射的に言ってるのです。

そこでこれからは「わたしは出来ると思いまさい!」と言って励まそうと決めました。これには、根拠となりそうなモノがあります。それと思われるものを二つ上げます。

  1. なせば成る。
  2. 神にとって不可能なことは一つもありません。・・・信じる心
  3. 私はどんなことでもできる。

1.『なせば成る なさねば成らぬ 何事も  成らぬは人の なさぬなりにけり』上杉鷹山

8月30日米沢市に行った時に松が岬公園に行った時に上杉神社、上杉鷹山公の碑に出会いました。そこに、この有名な言葉が刻まれていたのです。

上杉鷹山公

上杉鷹山公(上杉家十代)は、窮乏の淵にあった米沢藩を、卓抜な発想と大胆な政策によって再建した江戸時代随一の名君。

宝暦元年(1751年)7月20日高鍋藩主秋月種実美(3万石)の二男として誕生、幼名松三郎または直松、母は秋月藩黒田長貞の娘春姫。春姫はの母は上杉綱憲の娘である。

宝暦十年、上杉重定の養子に迎えられ、明和三年治憲と改名、翌年十七歳で米沢十五万石の藩主となる。

幼少から折衷派の儒者細井平洲に師事し、実学一致の経世論を身に付けた。藩主となるや大倹令、産業開発、藩校興譲館の創設、政務の革新を断行し、隠居後も政務に参与して再建に努めた。米沢織、米沢鯉、深山和紙など鷹山の興した産業は現在に伝承されている。

引用元:平成4年5月 米沢中央ライオンズクラブ 姉妹クラブ上越中央ライオンズクラブ

2.神にとって不可能なことは一つもありません。

この言葉は、新約聖書ルカによる福音書1章37節の言葉です。この言葉が語られた背景は、マリヤの受胎告知の場面で天使ガブリエルがガリラヤのナザレと言う町に住んでいる処女マリヤに遣わさせてきた時の事です。

天使ガブリエルがマリヤに、あなたは聖霊によって身ごもり男の子を生みます。その子にイエスと名前をつけなさい。その子は偉大な人になり、神はその子の上に父ダビデの王位を与えますと語ります。マリヤは天使に私はまだ男の人を知りませんのにどうしてそのような事があるのですか?と尋ねます。その時に、聖霊があなたに臨みあなたを覆います。そしてこの言葉が続くのです。神にとって不可能なことは一つもありませ。

それに対して、マリヤは次のように応えたのです。ここがポインです。「ほんとうに私は主のはしためす。どうぞ、あなたのことばのとおりこの身になりますように。」こうして、み使いはマリヤのもとを去っていったのです。天使は目的を果たしたのです。

マリヤはこの決断をすることが出来たので、その名を聖母マリヤとして歴史に遺し続けているのです。マリヤは「信じた」のです。この「信じる心」を改めて受け取りました。マリヤは天使ガブリエルの言葉を信じたのです。

今朝は、マリヤと同じく「神にとって不可能なことは一つもありません」を「信じる心」を再度確認させられました。

3.私はどんなことでもできる。

新約聖書ピリピ人への手紙4章13節「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」聖書の言葉はスピリチュアルな意味を沢山持っているように思えてきました。

今までスピリチュアル的にとらえると言うよりも、み言葉が何と言っているのかという解釈が主でしたが、スピリチュアル的に見ると直接的にみ言葉に触れるように感じます。

私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできる。という聖書の約束はとても力強い励ましの言葉です。そして、願っている事柄が現実化するうえで自分の力を信じる事はとても重要だと思います。

まとめ

あいまいな大丈夫という発言をしていた私でしたが、この習慣は改める事にしました。その代りに「あなたには出来ます!」と励ますことに決めました。

上杉鷹山の「なせば成る 成さねばならぬ 何事も なさぬは人の なさぬなり」にあるように、何事もその人が決めているのだという事です。だから「出来る」と信じて取り組む事が大切なのだと。

そのためにもマリヤのように「信じるこころ」を持ち、自分自身の力を信じて、自ら決断の時に決断する勇気も必要なだと教えられた今朝でした。アイキャチ画像は、今朝の散歩時の朝日です。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。ペンジュラム・ルルでした。