愛に生きる

昨日の礼拝は、「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。そのなかで一番すぐれているのは愛です。」(第一コリント13:13)のみことばから教えられたことを分かち合いました。

愛が一番であるということです。

スピリチュアル的にも私たちが生きるのは愛に生きることを言っているようです。聖書にも愛が一番大事であることを述べていますので。どちらも共通して愛の大切さを掲げています。

愛に生きるとは「内面の尺度」で生きること

知識として愛を知っていることも大切ですが、愛に生きる事はもっと大切な事であると思います。人それぞれに置かれている環境も境遇もみな違いますので、愛に生きる尺度があって正しい生き方がこれだと示す性質のものでは無いと思います。一人一人違いがあるのが当然であると思いうのです。ですから、人と比較してどうのと言うのではなく、自分自身の内面における尺度で計る事なのだと思います。

それでは、その内面の尺度とは何なのでしょうか?それは、その人の「内面の声」であると思います。内面の声を人は誰も聴く事が出来ます。それは、その人自身から出て来る声です。ですから、他の人と比較するものではありません。一人一人独自の声を持っています。

内面の尺度とは「内なる声」です

その「内面の声」の事を、「良心」の声と言う人もいると思います。私などはその「良心」の声という風に学んできました。サイキック的には潜在意識にある魂の声と言うことも出来ますし、私のハイヤーセルフからの声、宇宙的意識(神)からの声と考えます。

宇宙の意識(神)は愛の存在であると言われています。

この宇宙の意識(神)に繋がる事で、内面の声という形で繋がりを築いていくことが出来ます。そのことにより最も大切と言われる「愛」について人生の中で学んでいくのだと思います。

この世に生まれた目的は「魂の成長」のためです

ですから、各個人が自らの置かれた場所や状況の中で魂の成長のための課題を見出した時はそのことに取り組む事が大切な事であると思います。私たちがこの世に生まれて来た目的に自分の「魂の成長」の為と言われているからです。ですから、愛に生きる道は、宇宙意識(神)の存在自体が愛であるとすれば、当然のこととして愛に生きる生き方はこの世に生まれた人としてふさわしい生き方であると思います。

愛に生きることは、「気付き」の日々を生きることです

愛に生きる事は、今の現実に生きる事であり、その中で「気付き」が与えられた事に従って生きていくことが愛に生きる道に繋がっているのだと今は思っています。なぜなら、その「気付き」は宇宙意識からもたらされてくるからです。サイキック能力は誰でも持っている能力です。「感じる」ことですから。

ですから、宇宙意識(神)と繋がって生きる、「内面の声」に気づいて示されたことを行う生き方が愛に生きる道ではないかと思います。ですから、100人いれば100通りの愛の道があるのだと受け止めています。